カトリック

2022年07月14日 14:19

今回の安倍元首相の銃殺事件について、犯人の動機についての議論がなされている。

統一教会を憎み、怨念を晴らしたいなら統一教会側の人間、例えば、韓鶴子らを狙えばよいのに、どうして安倍元首相なのか、という話だ。

実際、犯人は、韓鶴子を殺害すべく、いくつかの計画を練り、その機会をうかがっていたようだ。彼女の講演現場にも行ったという。しかし、警備が障害となり、実現しなかったらしい。

それが、どうして安倍元首相になったのか。
このあたりがしっくりこないと、テレビのニュースでは言っている。

あくまでも、推測でしかないが、私は次のような印象を持つ。

犯人は統一教会を恨んでいた。財産を奪われ、母親は破産し、兄は自殺し(一部の記事)、家族はバラバラになった。自分の人生もどん底になった。

この段階では、こう思っていたかもしれない――母親がおかしな宗教にさえ入らなければ、こんなことにはならなかった。統一教会が諸悪の根源だが、言ってみれば、母親も悪い。止められなかった自分たちにも落ち度がある。何と運が悪いことだろう。――そういう感じで、あくまでも一家族の不運として、その苦しみを理解していたのではないだろうか。

しかし、よくよく調べてみると、統一教会がこのような違法活動をしている背後には、政治とのつながりがあるらしいことが分かってきた。誰がどういう形で、陰で統一教会を支えているのかも知った。

そんな中、安倍元首相が韓鶴子にビデオメッセージで賛辞を送っているのを見た。

この時、自分が苦しんでいるのは、運が悪い一家族のふがいなさが原因なのではなく、社会的、構造的な裏付けがあったがゆえに起きたことだと解釈したのではないか。

自分の家族にこれだけの苦しみを与えている統一教会を、なんと、元首相、政権与党の議員たちが承認している!

この段階で、統一教会に対する個人の恨みが、統一教会を生かしている構造への恨みになったのではないかと思う。「同罪だ」と。そこには「最初に安倍元総理、次に韓鶴子、その次に〇〇」という計画性や合理性はなく、スパークした怒りがあっただけだった。


もし自分の親が根こそぎ財産を奪われ、破産し、自分も底辺の生活を余儀なくされた、としよう。その相手は詐欺集団で、自分は犯罪に巻き込まれたのだと知ったとする。泣き寝入りするしかない。しかしその後、その詐欺集団と政治家が裏でつながっているのを知り、さらにその政治家が詐欺集団に堂々と賛辞まで送っているのがわかったら、どうだろうか。社会全体に対する怒りとして爆発する可能性はあるだろう。「どこに正義があるのか!」と。「私の受けた被害は、政治に守られたものなのか!」と。

そう私は感じた。

もちろん、法律では暴力による報復は禁止されているし、ましてや殺人は許されるべきではない。
ただ、今回の事件の犯人の大きな疎外感、絶望感は理解できなくはない。

統一教会問題がここまで根深いことなのだとあらためて気が付いた。

もうこのあたりで、自民党は、統一教会関係者と完全に縁を切るべきだろう。
自民党支持者も、統一教会と関係する議員を支持しないことを明確にすべきだと思う。

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